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第10次支援(9月12日~19日)の記録

下瀬尚子 宇部協立病院リスクマネジャー・看護師/震災支援の記録

支援先 :福島県郡山市 桑野協立病院支援

9月12日

午後13時到着、佐藤総師長から病院概要の説明を受け、3階病(60床、一般52床、亜急性期8床、循環器・呼吸器・内科一般)へ。

石井師長から病棟概要の説明を受け、15時から、オムツ交換、口腔ケア、配薬を実施する。

この日の福島ローカルニュースで「福島県内の小中学校8753人が転校した。郡山のある小学校は2学期明けに75人が転校した」と報道されていた。

9月13日

職責者の集まる朝会に参加。総師長さんから紹介された。
病棟に戻り、申し送り後、機能別看護として注射業務、口腔ケア、オムツ交換など処置、配膳下膳、食事介助など実施した。

午後からは入浴できない患者の手浴、オムツ交換など、保清ケアを実施した。
「ISOを受審した際、階段手前に設置しているガードを絶賛された」と病棟師長さんが話していた。築30年の病院の工夫が多くみられる。

看護師の子供(小学生)の運動会が郡山から車で1時間かかる会津で行われると話していた。郡山では土壌汚染の除染が終了しておらず、安全に実施できない事が理由と話していた。
病院近くに自宅のある看護師宅のすぐ近くにホットスポット(20μ?)が発見され(雨どいから流れる汚染水がそのまま地上に流れていたところ)立ち入り禁止となった。
震災後、どこかに行こうかと夫婦で真剣に話をしたが、現在も不安はあるがここにとどまっていると話す看護師もいた。

9月14日

前日同様の業務を実施する。
院内空き地に「ひまわり」を栽培し、被曝度を調査した結果が報告された。吸収効果は、安心できる数値でなく、看護師達の落胆の声が聞こえた。

葉と根は通常のゴミとして破棄する事は出来ない被曝量で土壌内に埋める必要があると話していた。

患者さんと話をする。
「そうかぁ~よういでねぇなぁ~」「よぐきたなぁ~ありがとう」と。
震災の時は「怖かった。でもみんなで助け合った」と。

9月15日

半日業務。桑野協立病院は、木曜日の午後は休日体制となる。
2歳と5歳の2児を持つ看護師が、子供の保育園探しに困っている事を話してくれた。
「被曝の事を考えると市外の保育園を探さないといけない。夫婦はなんでも食べるしかないけど、子供たちには安全なものを食べさせたい。お金が許すなら、通販の野菜を使用したい」と。

9月16日

午後から、支援者対象の学習会に参加した。
坪井院長から「核害の街で生きるために」として、原発事故から現在までの確認事項や行政の望む事、職員へ望む事を中心に話された。

「福島を生きる」と言われ、「生存権を主張しなければならない状況に至るならば、あらゆる手段を講じて闘わなければならない。当地の主権者である事を忘れてはいけない」と。
現在、一番知りたい「人体の汚染状況」を知る事が出来ない、測定できない状況。
「放射線障害」を保険請求できるように医療制度そのものを変えていかなければならない。
 店頭に出ている食品の汚染状況を数値化する事も重要。
一人ひとりが線量計を持ち、自身の汚染環境を知り、対策を立て生活する事が必要なのだと。

山口から何ができますかと聞いた。
「上関に原発を作らせない事です。原発に頼らない生き方をしましょう」と。

郡山で「家族を守って、職場を守って生きていく」「子供たちのために気が狂ったくらいに本気になりたい。これで私のこれからの仕事は決まりました。」と。10月末からチェルノブイリに視察へ行かれる。

勤務終了後、歓迎会を開いてくださった。
坪井院長、江川事務長、佐藤看護部長、七海副総師長さんからこれまでご苦労された事や頑張りを直接聴かせていただいた。

福島だけの事ではない。3階病棟の主任さんの6歳の子供が「あ~あ、放射線のないところに行きたいなぁ~って私に言うんですよ」と。

9月17日

前日同様の業務を行う。

滞在中に何度地震があったか? コンビニで震度4の地震があった際に、私の他の周りの人たちはなんとも普通の感じで、「私がおかしいの?揺れてないの?」と思った。
日常茶飯事の地震に病棟の看護師達も「気にしていたら…慣れてしまった」と話していた。

毎日、病院とホテルを徒歩で往復した。片道30分だが、中学生小学生に出会う事はなかった。近くのショッピングセンターに行く際にも子供たちを見ることはほとんどなかった。
郡山市内は1μ?前後。毎日、TVで福島市内の線量がニュースとして流れている。除染活動も継続して行われている。
看護師達が、「最初に正しい情報があったら、まだよかった。当初、毎日のように被曝しなかった。子供達の事を考えると」と話す。

9月18日

休日。

9月19日

半日業務終了後、帰路に就く。

初日、郡山の街並みにあまり違和感を覚えなかったが、あるマンションをよく見ると、基礎部分の問題で居住できない状態になっていたり、すでに更地になっていることを知った。
どのビルも調査が入り、赤・黄・青の張り紙でトリアージされ、赤の張り紙のあるビルは取り壊しを待っている状況。
病院のすぐ後ろの民家は半年経ってやっと、屋根の改修工事が行われ、ブルーシートが取り除かれた。

全国の電力会社、各自治体関係者や工事関係者、保険会社の査定調査員など、多くの支援者が福島に入っている。

タクシーの運転手に支援で来たことを話すと「福島は世界中で有名になってしまった。
私はどこにも行かない。今度は観光で来て下さい。みんな頑張っていますから。福島はいいところですよ」と話してくれた。

7日間の支援で何ができたのかと思うが、病棟の看護師に「福島に来てくれた事だけでうれしいし、助けてもらってる、休暇も取れている。
本当だったら、会えない人に会えたんだと思っている」と言われた。

「宮城の大変さとまた違って、『目に見えない(放射線)』物への不安や怒りをどうしてくれるんだ」という思いがあるとも話していた。

遠く離れた山口から何ができるのか一緒に考えてください。

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