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第9次支援(6月1日~4日)の記録

永岡元博 宇部協立病院 精神科医師 / 東日本大震災支援の記録

福島南相馬市震災支援レポート

6月1日から4日までの週の後半(実質活動期間は6月2日~3日)に福島県南相馬市の震災支援に行ってきました。

南相馬市は震災後の4月から2カ月間にわたり長崎大学支援チームが関わってきましたが、5月末で撤退したため、福島医科大学こころのケアチームが6月から関わることになったいきさつがあります。

民医連精神科はこの福島県立医科大学こころのケアチームの一員として参加しました。
1チーム3人の精神科医1名、コメディカル2名の構成です。
当院精神科からは、私と堂本PSW(精神科ソーシャルワーカー)が参加しました。
もう一人は三郷市地域包括支援センター早稲田センター長の星野看護師でした。

5月30日から6月1日までの週の前半は大泉生協病院の中島昭先生が入り、週の後半私が引き継ぎました。
コメディカル2名は1週間を通して支援しました(今後も週替わりで、全国民医連からチームが派遣されます)。
支援のコーディネートは福島県立医科大学精神看護学担当准教授大川先生がきめ細やかに行っていらっしゃいました。

当初の予定であった公立相馬総合臨時精神科外来の支援は、ありませんでした(外部からの支援医師が充足していたためでしょうか。その代わり、地域医療・保健活動の面においての実績を買われて?、民医連こころのケアチームが南相馬市の支援に割り当てられました)。
主な支援内容は、仮設住宅の戸別訪問でした。
南相馬市原町健康福祉センターを拠点にして、地元の保健師さんらと2人1組になり回りました。

南相馬市は歴史的に相馬事件(藩主の精神病にまつわる御家騒動)が起こったため、精神科やこころのケアに対して偏見があることを考慮して、健康調査および新しい住民登録名簿づくりの目的で訪問しました。
住宅への入居は6月1日から始まったばかりでまだ少なく、これから避難所から引越しする方が増えるものと思われました。
仮設住宅は2人暮らしが適当と考えられる大きさに、5人家族も割り当てられるなど狭い印象を受けました。
玄関は段差があり高齢者には優しくない設計だと感じられました。
仮設住宅に入居してホッとされた方もいらっしゃいました。

「あのまま津波に流されて、助からずに死んでいればよかった」と話される方もいらっしゃいました。
遠方に住む息子から、「大津波が来る」と電話があり、「津波が来るぞー」と大声で叫びながら車で避難し、同じ部落の多くの人が助かった、というエピソードも聞かせていただきました。

また、これとは別に、自立支援医療を受けているが通院確認できていない精神疾患のある方の全戸訪問活動もしてきており、この活動は6月2日で終了しました。
通院先の医療機関が被災した方も皆さん、どこかしらの医療機関に通院されていらっしゃいました。
その他、保健師から依頼のあった方のご自宅を訪問し精神科的評価を行いました。

希死念慮のある方でした。県外の避難所へ一時的に避難し、家族に対する見捨てられ感が強まり一時は混乱されたこともあったようです。
ADLは自立し認知症はなく、遠方ですが家族とも連絡を定期的にとっていらっしゃいましたので経過観察でよいと判断しました。

南相馬市の避難所には別のチーム(日本精神保健福祉協会より派遣)が入っていました。
避難所にいる被災者は一時期よりも随分と減ったそうです。
6月半ばに閉鎖される避難所もあるとのことでした。

被災者生活再建支援金をパチンコですべて使ってしまうとか、仮設住宅に移ると自由に酒が飲めるのでアルコール依存症が悪化してしまう、などといった問題があるとのことでした。
ある避難所で、遺体処理にかかわった後から不眠と悪夢に悩まされるようになったPTSDの方を診察しました。

南相馬市は小高区、原町区、鹿島区の3地区に分けると整理しやすいです。
小高区は福島原発から20㎞圏内で避難指示が出されました。
原町は福島原発から20~30㎞圏内の緊急時避難準備区域になっています。
避難所は30㎞圏外の鹿島区に建設されています。
小学生は30km圏外に作られた臨時の小学校までスクールバスで通い、授業を受けていました。

実際のところ、南相馬市は1日1μSV(以下)と放射能レベルは低く、遠方に避難していた住民も戻ってきている状況でした。
政府が許可していないため、病院は入院患者を受け入れることができず、救急医療体制の維持が課題となっています。
福島原発の北西に当たる、県庁のある福島市や人口の多い郡山市の方が南相馬市よりも1日1μSV以上と放射能レベルが高いです。

福島市や南相馬市は子ども達が安心して住めない街になっています。
長年住み慣れた土地を離れるか、住み続けると決心し子どもを守り抜くか、親の苦悩は凄まじいものがあります。
学校関係のメンタルヘルスケアの需要が今後高まるものと予想されます。

また現地スタッフの多くが被災しており、原発事故の緊急避難対応に追われ、連日にわたる非日常的体験をされていました。
こころのケアチームが関わることで現地スタッフのメンタルヘルスケアにつながるものと思われました。

6月3日の深夜1時頃に震度5弱の地震がありました。
揺れはそれほど大きくありませんでしたが、比較的長時間揺れました。
地元の方から聞いた話ですが、今回宿泊した栄荘は津波被害に遭い、2日間孤立した状態になりましたが、その後営業再開を果たしたのだそうです。
食事、風呂、部屋とも素晴らしくて、おかげで支援の疲れが十分にとれました。
他の宿泊者は建設業の方でほぼ満室でした。栄荘のすぐ目の先や後ろは甚大な津波被害の光景が広がっていました。

復興への道のりは非常に長いと思われますが、きっと復興できるものと信じ帰路に着きました。

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