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第7次支援(4月17日~23日)の記録

松本翔子  宇部協立病院 研修医 / 東日本大震災支援の記録

宮城県の多賀城市総合体育館は400名以上の被災者の方が避難されている避難所です。
4月19日から21日のわずか三日間ではありましたが、
この避難所に支援に入らせてもらいました。


避難所は高さ1mほどの段ボールシートで区画され、家族単位で生活されています。
避難所内には大きく5つのエリア(大体育館、小体育館、柔剣道場、弓道場など)があり、それぞれが○○地区といった単位で構成されていて、被災前のコミュニティーが維持されようとしています。
避難所内は昼間は人が少なく、穏やかな時間が流れていました。
まだ小学校などが始まる前で、子供たちは体育館のスロープなどに集まって遊んでいました。
身体が動く方の多くは昼間は自宅の片付けなどに出歩かれています。

医療班の活動について

多賀城市周辺の開業医や病院がかなり診療再開しており、医療支援のニーズは減っていっている状況でした。
自分で動ける人は元のかかりつけ医に通うようになっていました。
その様な状況下で私たち外部から来た医療班ができることは、医務室を訪れる患者さんの診察と、避難所内で動けない人たちがいないかを見て回り、動けない人がいれば診察して、必要があれば病院に紹介することでした。

医務室に来られる方はだんだん常連化してきており、話を聞いてほしいという方や、不定愁訴というか不安感が強いために様々な症状を訴えられる方が目立ちました。
他には避難所生活で腰痛、肩こりがひどい方も多かったです。

医療班として危惧していたことは感染症の蔓延です。
嘔吐下痢症が出れば、診察し症状が治まるまでは隔離するようにしました。
トイレはできるだけ患者さんのみが使うように指導しました。
私がいた三日間でも2件の嘔吐下痢が発生し、1,2日隔離された方がいました。
そのため、嘔吐下痢が蔓延する事はありませんでした。

しかし、帰り際に会った高校生は発熱と嘔吐下痢があったにもかかわらず、医務室にはかからず自分で寝て治したとのこと。実際には医療班が感知できていない感染症がたくさんあるのかもしれません。
避難所を管理しているスタッフの方とも連携し、嘔吐下痢を見つけたらすぐに知らせることや、吐物などの処理を確認しました。

避難所で動けない方もいらっしゃいました。
プライバシーが守られない環境の中で、周囲とのコミュニケーションを拒み、そのために活動性が低下してしまった方や、大きな手術の後被災し、食事がほとんど取れずに体が弱ってしまった方もいました。

医療班のリハビリスタッフが次々に介入していき、個別のリハビリがはじめられていました。リハビリによって、身体だけではなく精神的にも回復していく患者さんがたくさんおられました。
リハビリってすごいなぁと改めて思いました。

避難所での聞き取り

最初は避難所の段ボールハウスを覗き込んで声をかけることがためらわれ、あまりお話をゆっくり聞くことができませんでした。
少しずつ避難所に慣れて、何人かとはじっくりお話する事が出来ました。
その中で聴いたエピソードを記録しておきます。

①60代女性

地震がきて、近くの幼稚園に行っていた孫と嫁が慌てて帰ってきた。それから三人で高台にある小学校に歩いて避難した。
小学校へ続く道は避難する人で列ができていた。車で避難しようとする人も多く、渋滞していた。自分たちは避難が間に合ったが、渋滞していた車はかなり津波に呑み込まれたようだ。

息子は会社の車で移動していたが、津波が迫ってきて、目の前のビルの外ハシゴを慌てて上った。そのビルの人が一緒でドアの鍵を開けてくれて、中に飛び込んだ直後に津波が到達。ハシゴをのぼりかけていた女性2、3人が流されていくのを見たそう。

息子はパニック障害があり、地震後に発作が起きている。幼稚園の孫は赤ちゃん返りしており、津波来ない?と不安を訴えることが多く心配とのこと。

②70代男性

要介護3の妻と二人暮らし、地震で停電して、津波の情報は良く分からなかった。
息子が仕事を抜けて寄ってくれたので、津波に備えて、動けない妻を二人で2階に連れて行った。息子は仕事に戻っていき、夫婦で2階にいながら津波を待った。もし2階を超えて津波が来たら、二人で流されようと話をした。

幸い津波は2階まで届かなかった。外では助けてくれーという声が聞こえていた。自衛隊が助けにきたが、外で叫ぶ人を優先してくれ、と言って1晩自宅の2階で過ごし、翌日助けられた。

避難所に行ったが、妻の介護が避難所では難しく、避難所のスタッフからは「まさか要介護3の人が避難するとは思わなかった」と言われた。腹を立てて喧嘩になったが、妻の介護にはポータブルトイレと電動ベッドが必要で、しかたなく開いていた施設に入ることとなった。
10日に一度ほど妻に会いに行っている。

③70代女性

平屋に住んでいた。
娘と二人で家にいるところに津波が来た。
とっさに外に出て、後ろの家の外階段を2階まで駆け上がった。
着の身着のままでその外階段で一晩過ごし、翌日自衛隊に保護された。
薄着だったため、とっても寒かった。太っているので避難所でも合う洋服がなく、数日前にようやく買い物に行き、服が手に入った。

息子もいるが、仕事が始まりホッとしている。
息子は避難所から仕事に通っている。

④50代女性

避難所に息子と二人で避難していたが、ほとんど眠れていない。
家は一階が津波にあい、ヘドロにまみれている。
ペットの犬がいるので、毎日自宅に戻っている。
息子は朝4時から仕事に行くため、避難所の人に気を使って、今は自宅で寝起きしている。
しかし、ヘドロが乾いたものが舞い上がり、においもひどい。それを吸いこむためか、咳と痰が止まらない。
薬はもらったが、寝る場所は相変わらず自宅である。
仮設住宅に入りたいが、無理だろう。

⑤70代男性

DM、狭心症などで近医通院中。
神経疾患の持病もあり、歩行は杖を二本使っている。
妻と二人で避難所で暮らしている。
足を見せてもらうと、両足に胼胝があり、チアノーゼもある。
毎日足浴に通ってもらうように伝えた。

⑥80代夫婦

妻は軽い認知症あり。
夫はDM、HT、高脂血症、認知症あり。
夫は避難所に入ってから、周囲とのコミュニケーションを避けるようになったとのこと。
ほとんど日中は寝たきりで過ごしている。
尿失禁が頻繁にあり、近づくとにおいが気になる。
夫婦だけではなかなか清潔が保てないようす。
リハビリと足浴と看護師による回診を続けることとした。

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