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第7次支援(4月17日~23日)の記録

永岡元博  宇部協立病院 精神科医師/震災支援の記録

【支援場所】
坂総合病院(宮城県塩釜市)
【支援内容】
こころのケアチームの一員として参加、
坂総合病院精神科医千葉先生を支援する。主に病院の外の仕事を行う。

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東日本大震災支援に参加して、2週間が経過した。

支援後の1週間は仕事がいつもの倍ありとても忙しくすごした。
思えば、4月5日に行われた研修医のT先生の歓迎会で、「研修医と一緒に震災支援に行こう。」と私が発言したことがきっかけだった。
というのも、未曾有の東日本大震災が3月11日に起きてから間もなくして、林道倫精神科神経科病院の林院長先生から私宛てにメールが届いたからだ。
それは、震災地の坂総合病院で、一人精神科医長で頑張っている千葉先生を全国民医連の皆で支援したいという内容であった。

林道倫精神科神経科病院は、私が4年間精神科専門研修をさせていただいた民医連の病院である。
坂総合病院も民医連の病院であるし、もちろん当院も民医連の病院である。

メールが届いた日はちょうど、すでに現地で当院第一陣として支援活動された野田先生が活動報告をされた日だった。
私の心は高鳴った。近いうちに私も支援に行こうと決心し、その日のうちに妻にも告げた。

T先生は4月4日から1ヶ月間当院で地域医療研修に来られたばかりだった。
一杉先生、松本先生は、この4月で1年目研修を終える総仕上げの時期だった。
3人の研修医は少しも嫌な顔をせず参加を表明し、上級医の先生方も、「貴重な経験になるよ」と快諾してくれた。
そうして、早速日程を調整し現地入りすることになった。

リハビリの川本さん、虹の訪問看護ステーション看護師の佐々木さんも同時期に支援に入ることになった。

事前学習として震災時のメンタルヘルスに関する資料を集め、ミニ学習会を行った。
支援者も二次的被災者となることを共有した。

私たちが現地入りしたこの週は、震災から1ヶ月余りが経過し、坂総合病院周辺の都市機能は回復し、しだいに落ち着きを取り戻しつつあった。
坂総合病院では3月17日頃まで被災者のトリアージ(災害時に患者に治療の優先順位をつけること)が行われたが、3月23日からは通常業務が再開された。
避難所における医療ニードは減少し、生活上の相談や支援のほうが重要になる頃であった。

一杉先生と松本先生は医療チームとして活躍し、T先生は私とともにこころのケアチームの一員として活動した。
こころのケアチームの活動は開始されて3週目であった。

最初の1週間は青森の藤代健生病院の関谷先生と奈良の吉田病院の中谷先生が支援に入り、支援の基盤を整えてくださった。
2週目は熊本の菊陽病院の看護師さん2名が支援し、週の後半に鳥取医療生協病院心療科の田治米先生が3日間支援に入り、こころのケアのニードをさらに掘り起こしてくださっていた。
まさに支援のリレーであり、今リレーのバトンを受け継ぐこととなった。

週の前半は、藤代健生病院の仙石先生らと合流し、多賀城文化センター、多賀城市体育館などの避難所を回ったり、多賀城市の保健師からの依頼を受けて面接を行ったりした。
避難所では被災者のプライバシーを保つために、ダンボールでできた敷居がつくってあった。
被災者は着の身着のままで持つものも持たず避難されたのだ。
中には家が全壊した方もいれば大事な人を失った方もいるはずだ。
悲しみに暮れている方もいるだろうし、不安で押しつぶされそうな方もいるだろう。
横になったままじっとしている方も多い。

ダンボールの敷居のため、被災者を上から見下ろすような格好になるので、私はとても声をかけづらかった。
声をかけても、「またか」とか、「今日は話したくない」と言われ怖気づいた。
後から聞いた話だが、松本先生は支援3日目に声をかけるコツがわかり被災者から様々な話が聞けたそうだ。すごいなあと思った。

幸い、足浴の支援に携わった川本さんが気になる方を次々とこころのケアチームに紹介してくれた。
足浴とは、桶にお湯をくみ石鹸で被災者の足を洗ってあげるのである。
ついでに同時に別の支援者が肩を揉んであげるのだ。
被災者にとって、これほど嬉しいサービス(?)はないだろう。
その足浴中に一瞬悲しい顔をしたり、涙を流したりした方を川本さんは私につないでくれたのだ。

じっくり話を聞いてみると、非常に困難を抱えていらっしゃった(プライバシー保護のため、内容をお伝えできず残念です)。
こころのケアチームは基本的に処方はせず、医療が必要な方は地域の開業医につなぎ、生活支援が必要な方は保健師につなぐ方針とした。

保健師から小児症例の依頼もあったが、私が直接は診察する機会はなかった。
2歳児が津波で多くの人が亡くなる光景やコンビナート火災で空が赤々と燃える光景を目撃していた、という仙石先生からの報告を聞いた。
赤ちゃん返りする子も多いという。
小児症例で大事なことは、それらは子供にとって自然な反応であり、必ず良くなることを母親にメッセージとして伝えることである。
今後フォローが必要な方が増えるものの、カルテは準備されておらず、情報の共有が不十分のように感じた。
このため、現地対策本部こころのケアチーム担当・宮城民医連事務の丹藤さんを巻き込んでディスカッションし、カルテに準じた個人情報ファイルを作ることを検討した。

週の後半は東京のみさと健和病院精神科の松永先生らが加わった。
そこで、週の前半に感じた内容を私なりに文章化し申し送った。

丹藤さんはじめ現地スタッフは被災者であることを忘れず、現地スタッフに負担をかけないように、こころの医療チームは自立的に活動することを再確認した。
外部から来た支援者は問題点が見えやすく、つい現地スタッフに改善要求を突きつけたり文句を言ったりしがちになるからだ。

4月21日は津波被害の大きかった仙台市の長町・若林地区へ行った。
長町クリニックは地震の影響で、建物の外壁にひびが入るなど被災していた。
気になる患者宅の訪問を行った。

たまたまボランティアに来られていた産婦人科医の田中先生と一緒に訪問することになった。
その際に田中先生が、「地震の影響で不眠、不安を生じた人は、たくさんおられると思いますが、どのようにしてあげたらいいのでしょうか。仙台市にある精神科クリニックは、震災が起こる前からすでに1カ月以上の予約待ちの状況です」と言われた。
この問いにすぐに答えられない自分が少し情けなかった。
「地域の保健師さんへつなげること。本来なら地域のコミュニティの力で助け合うところです」とお話しした。
道1本隔てて向こうは津波で荒れ果てこの世のものとは思えない光景が広がり、こちらは津波の影響なしという場所にも遭遇した。
この日の午後は医療チームと合流し1チーム3~4人に分かれ、地図を片手に全戸訪問を行った。
30分余りで13件訪問したが、幸いにして被害が少ない地域であった。
別のチームからは、「津波が運んできた大量の土砂を年寄りだけではかき出せない」と困っている方の報告がなされた。

若林クリニックの待合室には、皆さんから寄付された日常用品が所狭しと並べられていた。
「ご自由にお持ち帰りください。」と書かれてあった。
新居に引っ越したばかりの老夫婦が、その日クリニックを訪れて鍋や茶碗など持ち帰ったという。
クリニックが公共の場として重要な機能を果たしていると感心した。

4月22日にはあるお宅で開かれた友の会の班会に参加した。「眠れない」、「震災後3日間何も食べられなかった」とか、「血圧がいつもより高い」、「地震がないのに今も体が揺れている気がする」という方もいた。
そこで急遽、震災のストレス反応について話をさせていただいた。
ストレッチ体操や散歩をしてなるべくリラックスするとよいと伝えた。
この班会は毎月開かれており、先月はなんと班会中に大震災が起こったのだという。

皆さん、震災体験で話が持ちきりとなり収拾がつかないほどであった。
おはぎやお菓子を食べながら楽しいひと時を過ごした。
坂総合病院のスタッフが作った詩(民医連新聞に掲載)を朗読し、皆で分かち合った。
ある方が、「坂病院に全国から支援の方が来てくれているのを見ただけで涙がボロボロ出る」と言われたのが印象に残った。

千葉先生に初めてお会いした。
支援者の私達のことをとても気遣ってくださる優しい先生だった。
「今後どこで地震が起こるかわかりませんから、今回の支援経験を生かしてください」といった意味のことを千葉先生は言われた。
私の心にズシーンと入った。

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まだまだ報告したいことはたくさんある。

何よりもそれよりも、震災支援から無事に全員帰ってこられたことが一番である。本当によかった。
貴重な経験のできた研修医3人は、きっと親身に患者に寄り添える立派な医師になってくれると思う。
その後、こころのケアチームの活動は城北病院の松浦先生、船橋二和病院戸田先生、愛媛生協病院今村先生のチームへと引き継がれた。
今後こころのケアのニードはますます高まると思われる。

復興は年単位の長期戦であるが、支援者が支援できることは限られる。
5月末からの福島県南相馬市へのこころのケアチーム支援要請が来た。
南相馬市は福島原発から30㎞圏内を含む地域であり、支援が遅れているところである。
再度、私の心は高鳴った。

今度は当院精神科ソーシャルワーカーDさんとともに、南相馬市へ支援に行こうと考えているところである。

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