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第4次支援(4月6日~12日)の記録

松本有嘉 宇部協立病院2階病棟師長 / 東日本大震災支援の記録

東日本大震災支援日記 (3月31日~4月4日 於:宮城県多賀城市)

4月6日(水)

移動に伴う前泊(東京)

4月7日(木)

16時に坂総合病院に到着する。ミーティングまで時間があるため、津波被害の大きかった七ヶ浜に、実際の被害状況を見に行く。

広大な住宅地が一瞬にして津波にのまれ、跡形もなく瓦礫の山となっている光景を目の当たりにし、改めて被害の大きさ・悲惨さを痛感した。
自衛隊の支援車両を所々で見かけたが瓦礫の撤去にはまだまだ時間と労力が必要。

ミーティングでは各避難所からの状況報告を受けた。
翌日からの支援に備えそろそろ就寝と思っていた矢先に震度6強の余震が発生。すぐさま対策本部に集合し、余震被害を想定しトリアージが開始となった。
黄色ブース(待機的治療群)への支援となったが、停電に伴う避難として在宅呼吸器患者が3名立て続けに救急搬送され、入院となる。

また在宅酸素の患者や茶碗の破損で怪我をされた方など、20名程度の患者が搬入され、入院や処置後の帰宅といった経過を辿った。

結局朝9:00まで深夜勤務という形で黄色ブースの支援を行う。赤ブース(最優先治療群)ではCPA(心肺機能停止)患者あり。

4月8日(金)

深夜0:00より救急外来の深夜支援を行う(救急搬送5台・夜間受診2名)。
救急搬送の内訳は、

①尿管結石による腹痛
②胸痛発作
③胸痛発作・意識レベルの低下
④転倒による頭部外傷
⑤COPD(慢性閉塞性肺疾患)末期・ショック状態で、
①~④の患者は点滴治療後帰宅され、⑤の方はその後死亡された。

4月9日(土)

9:00まで勤務を行い、日中休憩を取り、17;30からは避難所の1つである多賀城文化センターへ医療班として訪問した。

医療ブースを設置し、問診とバイタルチェックを実施。
呼吸器症状や血圧の上昇を訴える方が大半で、何とか中断することなく内服継続はできているが、震災後からの血圧上昇者が多く、避難生活が長期化しており、不眠やストレスといった要因が考えられる。

4月10日(日)

4つある避難所のうち2つの小・中学校が学業再開のために閉鎖となり、避難所の移動日となった。

午前中は、多賀城中学の方は2つの避難所(多賀城文化センター・総合体育館)に分散しての移動で、荷物移動を手伝った。
前日に荷物の整理が終了しており、配送用の自衛隊トラックへの積み込み作業を行う。

被災者自身は主に歩行での移動であるが、足腰の弱い方もいらっしゃり、持参した車椅子を使用しての移動を行う。
避難所生活では高齢者のADL低下が避けて通れない状況で、今後の課題の1つ言える。

午後から新しく避難所となった総合体育館へ訪問する。
居住スペースが確保できていない方も多く、体育館側の情報整理が出来ていない事もあり、医療ブースの設置が可能か判断に苦慮し、夕方に出直す方向で検討した矢先、医療ブースへの診察希望者が多く発生した為、急きょ診察を開始した。

翌日より岡山県の医療チームが支援に入る予定で、行政側からの医療支援の依頼がない為に総合体育館への医療支援が出来ない可能性があったが、粘り強い交渉により、翌日からの医療支援が継続的に可能となった。

4月11日(月)

午前中は内科外来の支援となり、問診とバイタルチェックを行う。定期受診の方以外に臨時診察の方もいたが、呼吸器症状を訴える方が大半であった。

17:30より多賀城文化センターへ訪問する。
診察希望者の大半が、数日中に他の避難所から移動して来られた方であった。

長期化する避難所生活の中での新たな移動は、予想以上にストレスの増大を引き起こしているといえる。

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震災から1ヶ月が経過し、復旧に向けて落ち着きつつあった中での余震は、物的被害だけでなく、被災者1人1人の精神的なダメージとなっている。
避難所生活が長期化してきており、今後急性期から慢性期支援にスイッチしていく時期と考え、被災者のニーズを掴み行政と連携を取りながら継続した支援が維持出来ればと思う。

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